Ironman AUSTRALIA 2017 参戦レポート

 

「アイアンマンオ-ストラリア完走記」ゼッケン1109 カテゴリ55-59 Kato Shinichi JPN

※超長文、かつ、平凡なトライアスリ-トの、トライアスロンに特化したマニアックな分析レポ-トなので、時間と興味がある人だけご覧ください。
あくまでも、自分がこれからの練習内容を組み立てていくことが目的で振り返ってみました。

【レ-スの結果はどうだったのか?】

14時間52分42秒 (目標13時間50分 ▲62分)②

S:1時間28分35秒 (目標1時間17分 ▲11分)④
B:7時間24分19秒 (目標6時間30分 ▲49分)③
R:5時間46分51秒 (目標4時間50分 ▲56分)②

残念ながら、レ-ス全体で、62分、三種目共に目標に到達できなかった。
しかしながら、悪いなりにレ-スを纏めることが出来、セカンドベストを記録した。
特にランは、最後までゆっくりではあるが一定のペ-スで走ることが初めてできた。

 

【どんな練習をしてきたか?】

2月下旬から3月いっぱいにかけて、体調を崩し思うように練習が出来なかった。
具体的には、喉の痛み(妻も同様)、皮膚の湿疹・虫刺され(妻も)、股関節の痛みなど。

1~2週間単位で山谷を繰り返しており、これは、強い練習の後で疲労・体調不良を繰り返していることがわかる。
また、3月第一週のように、全く練習が出来なかった週もあった。

ランのインタ-バルや、バイクのロ-ラ等、心拍を上げる練習は、そこそこ出来ていたが、アイアンマンディスタンスで不可欠な、「長い距離のエンデュランス練習」がほとんどできなかった。
移住環境に慣れること、結婚生活を立ち上げること、を最優先にしたので、仕方ないと考えている。

今年に入っての走行距離は下記。(単位はkm)

1月 R73 B208 S11.0
2月 R110 B472 S5.8
3月 R83 B513 S21.3
4月 R116 B631 S22.3

R200 B1000 S30という月間計画からするとほど遠い練習量だった。

 

【レ-ス当日はどのような体調だったのか?】

5/7時点の体調は非常に良かった。
一週間前から、いつもの儀式通りにアルコ-ルを完全に絶った。
ATL (疲労)は、189.2、CTL (42日間の平均TSS)は、102.5、TSB (調子)は、+27.6と、ほぼ完璧にレ-ス当日に体調を合わせることが出来た。
アイアンマンバルセロナにも、TSBを+27程度に持っていく予定。
今回の経験で、レ-スに向けての具体的数値によるテ-パリング方法が明確になったのは収穫。

次回からは、CTLを102から150程度に上げていきたい。

【レ-スはどうだったのか? ~完走記~】

妻と5/3水曜日にポ-トマッコリ-に入った。
今回はツア-ではなく、フライト、ホテル等全て自分で対応したが、これは良かった。
特に、滞在ホテルがアパ-ト形式だったので、ス-パ-に買い物に行き自炊できた。
日本からは、ご飯粒と醤油、梅干し、海苔、インスタント味噌汁等を持参したがとても重宝した。
オ-ストラリアは、入国時の荷物のチェックがとても厳しいが、アイアンマンに参加するということを言ったら、ほとんどスル-だったのはラッキ-だった。

5/4木曜日にチェックインと説明会受講、5/6バイク預託と、かなり余裕を持って早め早めに日程をこなしたので、とてもラクにレ-ス当日を迎えられた。
バイクが届かないというトラブルもあったが、なんとか夜ホテルに届けてもらい問題は無かった。
買い物や、洗濯、掃除、料理、通訳等、妻のサポ-トはとても助かった。

5/7 4時起床。
赤飯と味噌汁等で朝食をとる。
体調はとても良い。

5時にホテルを出て徒歩30分で会場入り。
バイクの空気圧の調整と、バイクのボトルセッティングを実施。
バイクの空気圧は、路面が粗いということもあり、7気圧と緩く設定した。
バイクの補給は、フロントとミドルが、水500、クエン酸1.5g、ブドウ糖20g、塩1.5g、リアはグリコCCDとウィグライプロを水で薄め、合計カロリ-を5000kcal程度にした。
自分は、バイクライド中は固形物はなかなか取れないので(平衡神経消失と内臓が強くないことが理由)、いつもこの作戦でアイアンマンに臨んでいる。

70.3の人達、プロがスタ-トし、いよいよエイジのスタ-ト時間が迫る。
7時20分くらいのスタ-ト時間に合わせて、いつもの儀式。
ウェットス-ツを着て、キロ8分で2キロ程度ランニングを行う。
こうすることによって、体を温め、スイムスタ-ト時のバトル等のリスクを避けられるからだ。

スイムスタ-トは、タイム順に3つに分かれており、自分は真ん中のグル-プに並んだが、どうもごちゃごちゃになっていてよくわからないので、前の方の列に並んだ。
7時30分くらいにスタ-ト。
ロ-リングスタ-トで、二人ずつ5秒間隔だった。

いつものようにゆっくりとスタ-トした。
バトルはあまり無い。
泳ぎ始めて1分くらいたった時に、いつもと違う感覚が襲う。
胸が締め付けられるようになり、心拍がどんどん上がった。
ゆっくり泳いでいるが心拍が下がらない。
危ないので、離れた空いているところまで泳ぎ、背浮きを一分程度した。
心拍を測ると150bpmを超えていた。
しばらくして、心拍が下がったので、戦線に復帰したが、またまたしばらくすると心拍が上がり、我慢できなくなった。
さすがに、二回目は焦った。
ライフセ-バ-が何か叫んでおり、ここでDNFするか自問自答した。
情けない気持ちだ。
あれだけ辛い練習をしてきたスイムで、しかも自己ベストが期待されるスイムでこんな事になるとは…..

再度、戦線から離脱し、背浮きでかなり時間をかけて心拍を落とし、再度戦線に復帰した。
今度は、なんとかなった。
自分のリズムでピッチを刻み始めた。
周りの選手は、体が大きくて、まっすぐに泳げない人多数なので、ヘッドアップを多用しスペ-スを見つけながら相当神経を使って泳いだ。
3.8kmは長い。
コ-スは入り江みたいなところを一周弱のワンウェイでブイもあまり見えず、透明度もほとんどゼロなので、マイペ-スでゆっくり泳いだ。
途中、二回、桟橋みたいなところを上がるように言われて上がって、再度泳いだりしたが、事前に全く情報が無かったのでゴ-ルと勘違いしぬか喜びをしたものの、まだ先が見えないのでがっかりした。
そんなことをしながら、とにかく安全に上陸することだけを考えてマイペ-スを貫いた。
タイムを見ると、既に目標タイムの1時間17分が過ぎてしまっており、自己ベストは完全に諦め完走狙いに変更した。
ゴ-ル地点が見え、上陸して時計を見ると1時間28分だった。
妻が笑顔で迎えてくれた。
内心、申し訳ない気持ちだった。

スイムの袋を頂き、テントに入ると、脱がせ隊の人が寄ってきてくれて、椅子に座らせてくれ、ウェットス-ツを一瞬の早業で脱がせてくれた。
ヘルメットやバイクシュ-ズ、ゼッケンを出してくれたりといたりつくせりのサ-ビスをしてくれた。

7分4秒でバイクスタ-ト。
180.3kmの長旅が始まった。
試走はほとんどできていないので、慎重に入る。
序盤は、アップダウンがこれでもか!と繰り返してくる。
路面もかなり粗いし、平衡神経を消失しているので、下りでスピ-ドを上げられない。
NP 140w平均を維持しながら、3時間30分程度で前半90kmの一周を終えた。
途中で、噂に聞いていた激坂を上った。
降りて押している人もいたが、なんとかギリギリ上ったが、しばらく動けなかった。

路面が粗くて、振動が激しく、フロントのハイドレ-ションシステムがガタガタ鳴り、危ないので、ガ-ミンを外してポケットに入れてバイクライドしていたら、下り坂を走行中凹凸の衝撃であっという間に吹っ飛んでしまった。
これにはびっくりした。
間一髪ガ-ミンが助かったので安堵したが、こんな想定外のこともレ-スでは起こることを知った。

周回地点で妻が応援してくれており、笑顔で応えたが、内心は、あと90kmは勘弁してほしいという心境だった。

二周目は、とにかく我慢と忍耐だった。
アイアンマン仲間のNさんは、5~10分後方を懸命に戦っている。
何回かすれ違うところがあり、こうして戦友が同じ辛さと戦っている姿を見ながらたくさんのパワ-を貰った。
平均NPは、後半は114くらいに落ち込んでいる。
結局、前半140W、後半114Wだった。
後半落ち込んだ原因は、複数だと思う。

・長い時間の練習が足りなかった
・高い強度からの回復力が足りない
・ペーシング
・路面や風への対応力
・補給戦略

ZONE5、6で40分もかけており、その反動でZONE1で3時間も休んでいる!
今後は、ZONE3、4を100%に少しでも近づけたペ-ス配分の練習をしていきたい。
また、FTPを180wから200wレベルに引き上げてバルセロナに乗り込みたい。

後半は、4時間もかけてヘロヘロになってバイクフィニッシュした。
二周目の激坂は上れず、バイクを押して上がった。
周りもみんなバイクを押していたが、なんだか情けなく恥ずかしかった。
気絶寸前までロ-ラ-で追い込んだ練習を繰り返してもこんなレベルでいる自分が情けなかった。

これから42.195kmのランがあることは考えられないが受け入れるしか無い。

小便がしたくなったので、トイレに入ると、ついでに大も出た。
アイアンマン6戦目で初めてトイレで大をした。

テントで1000kcalくらいの補給をグリコCCDで行った。
人工内耳の交換電池をポ-チに入れたハズが入れ忘れた。
電池が切れてしまい、音が全く聞こえない。

ランに入って、妻を見つけて、電池をホテルに取りに行ってもらうようにお願いした。
ランはほとんど練習できておらず、今年に入って走った最長距離が13kmの伊良部マラソンということもあり、どうなるか全くわからなかった。
ブリック練習は繰り返したので、ランの入りは調子が良く、時計を見るとキロ6分30秒。
調子が良い。
10kmを70分程度で楽に通過した。
石垣のショ-トの10kmランより早いペ-スだ(笑)
妻から電池を受け取り、明るいテント付近へ移動し、電池交換をした。
漸く音が聞こえる。
応援の声が聞こえるのはどれだけ勇気づけられるだろうか?!

調子よく走り続けていると、11km付近でNさんがものすごい勢いで声かけて抜いていった。
フルマラソンを最近3時間19分の自己ベストで完走しているだけに、すごいスピ-ドにはびっくりした。
マイペ-スで二周目20kmを通過し、手首の輪っかも二つになった。
陽がすっかり落ちて、ライトを左手に持って走ったが、平衡神経が無いので、どうもフラフラしてしまう。
「いつかガクンと来るのだろうなぁ~30kmくらいまでもったらいいなぁ~」と思っていたら30km地点を難なく通過してしまった。
ほとんど全てのエイドに寄って、コ-ラとスイカを補給しており、ランはキロ7分程度を刻み続けることができていた。

妻から、「あと10km、頑張って!」と言われ最周回に向けて走り始めたが、最後まで足が持つとは思っていなかった。
途中、Nさんが疲れ切った表情で走っている姿を見つけ、エ-ルを送り合った。
彼も壮絶な状況の中で前進していることを知り、力が湧いてきた。
ゴ-ルから遠ざかっていく前半は、サロマ100kmのワッカの原生林の80~90km地点を思い出した。
折り返すと、エイドには寄らずにゴ-ル目指して5kmを集中して走った。
歩いている人を次々に抜くのは気持ちよい。
いつも、歩いていたので抜かれたことはたくさんあるけどこんなところで抜いたのは初めての経験だ。

走っていてもさほど疲労感なく、とにかくフォ-ムを維持してピッチを180で刻むことだけを考えた。

そして、ゴ-ルのゲ-トが見えた。
怒涛のような歓声が沸き上がり、観衆にハイタッチしながら、感無量だった。
妻を見つけ近寄ると、抱きしめてキスしてくれた。
横にいるオ-ストラリア人のおばさんが微笑んでいた。

そしてゴ-ル!
腕時計のガ-ミンはランの途中で電池が切れてタイムも時間もわからなかったけど、そんなことはどうでも良かった。
朝から晩まで自分の全てを出し切ったことが嬉しかった。
体調が悪く妻と内科や整体に通ったことなどが走馬灯のように頭の中を巡っていった。
自分の事を一番良く知っている妻に感謝の気持ちでいっぱいになった。

いつかは、妻と二人でアイアンマンになりたいと思った。
14時間52分42秒の旅だった。

【次のレ-スは? どのような目標なのか?】

10月1日のアイアンマンバルセロナは下記目標を設定した。

S75分、B6時間20分、R4時間50分
合計13時間30分

【目標に向けてどのように過ごしていくのか?】

この目標を達成するために、下記の距離を踏む予定。
FTPは180w→210wをクリアしたい。

5月 回復期 (1~3週)
R 150
B 500
S 20

6月 基礎期 (4週~8週)
R200
B1000
S30

7月 強化期 (9週~19週)
R200
B1000
S30

8月 強化期 (9週~19週)
R200
B1000
S30

9月 強化期 (9週~19週)、調整期 (20週~21週)
R200
B1000
S30

2014年12月~2016年11月まで横浜トライアスロン研究所の滝川コ-チ、メンバ-の皆さんには個人指導を含み本当にお世話になった。
これでもか!というくらい、三種目の基礎を徹底的に叩き込まれ、トライアスロンが三種目の寄せ集めのスポ-ツではなく一つの素晴らしいスポ-ツということが理解できた。

3月~4月に宮古島で8回にわたり西内プロ夫妻にスイムの指導を受ける機会があった。
技術のみならず、レ-スよりも厳しいスイム練習は生まれて初めてであり、たくさんの発見があり大変感謝している。

2016年12月からは、PEAKSの南部コ-チ、中田コ-チにお世話になっている。
バイクが中心だが、毎日のバイクメニュ-を含む手厚い指導の結果、FTPが165→180くらいまで上がってきている。
パワ-メ-タ-をつけて自己満足に終わることなく、改めてこの競技の難しさ、面白さを噛みしめている。
引き続きよろしくお願いします。

「60才でコナで年代優勝」という当初の目的に向けて、夫婦で宮古島の素晴らしい環境で第二の人生をトライアスロンに打ち込み、楽しみたい。
引き続きよろしくお願いします。